ドビュッシー『ピアノのための12の練習曲』

ドビュッシーの『12の練習曲』を聴いている。いまの耳にも、その音楽はじゅうぶんに前衛的に響く。

◆ところで、いま聴いても前衛的であると書くとき、ドビュッシーが1915(大正4)年に完成させたこの音楽を、ぼくはバロック〜古典〜ロマン派〜近現代という音楽史の流れの上に据えて聴いている。つまり、それ以前の音楽とくらべてそれ(『12の練習曲』)は新しくて、どこかつかみどころに欠けると感じているわけだ。

 でも、ぼくは、それではいつまでたってもドビュッシーの音楽に近づけないような気がしている。音楽史などとは遠くはなれて、もっと直感的にその音楽に触ってみたいのだ。

◆日本にドビュッシーをひろく紹介したとされるのは太田黒元雄だが、大正4年の12月18日、つまりドビュッシーが『12の練習曲』を作曲したのとおなじ年に、太田黒は当時暮らしていた馬込の自邸で第1回「ピアノの夕」を開催している。テーマはずばり「ドビュッシー」。プログラムには『12の練習曲』こそ載っていないものの、ピアノ版による「牧神の午後への前奏曲」「亜麻色の髪の乙女」「沈める寺」などが演奏されたという。大正4年の東京の夜空に、同時代を生きる作曲家ドビュッシーの音楽の調べはどんな軌跡を描いたのだろう。美しく、自由奔放で、野心的なその音楽は。

 願わくは、青空にみつけたジュラルミン製の機体を眩しげに見上げるように、一個の輝く「点」としてドビュッシーの音楽とも出会ってみたいのだ。

ドビュッシー:12の練習曲